一貫性を求めるというエゴ

人はなぜ一貫性を人に求めるのでしょうか。
最近の関心ごとです。そしてその一貫性への執着は、時として他者への自分のエゴの押し付けになってしまうのではないかなと思います。

また他人に強く一貫性を求める人ほど、自分の一貫性にはさほど興味をしめさない事が多いのは何故なんでしょうね……。不思議だなあと思います。

私はアイドルオタクで、 10年近くに渡って推し続けている“推し“がいるのですが、長年彼の雑誌インタビューでの発言だったり、ブログだったりを追いかけ続けて、彼の考えも日々変わっているんだなということを感じています。「事務所でデビューすることが夢」だったところから、「演劇のお仕事がしてみたい」「情報番組のキャスターをしてみたい」なんて言っていたこともあれば、「もう激しく踊るの疲れちゃった笑」……、時の移り変わりと共に興味関心ごとも変われば、価値観も変わって、いろんな思考が変遷しているんですよね。

ファンの中には、「あの時ピアスは開けないって言っていたじゃん」とか「7人でずっと一緒にいるって言っていたのに」とか、過去の発言に紐付けてその一貫性の無さを嘆いたりする人もいて、その気持ちもわかるのですが、彼らが生身の、私たちと同じ人間であることを思うと、変わっていくのは至極当然のことなんだなと思えます。

もちろん、その変わっていく過程で、ある一定の時期までは好きだったけど、あの時期からは好きじゃなくなった……みたいなことは当然あると思います。それもまた仕方ないことで、逆に相手が変わらなくても自分の思考が変わったことによって好きじゃなくなる、なんてことも当然あります。

一貫性を求めてしまうのは、自分の理想の、自分が好きだった瞬間を相手に維持していて欲しいというエゴから生まれるのだと思います。根本的には、相手のそのものが好きなのではなく、自分の理想を体現している(かのように思える)人が好きなのであって、そのストーリーから外れてほしくないというところから他者に一貫性を求めてしまうのだと思います。

一貫性がないのは当然のことだということを受け入れた上で、相手そのものを愛す。その上で、どうしても受け入れ難い変化があった際には、「一貫性がない」と騒ぎ立てるのではなく、「自分の好みのストーリー上に彼はいなくなったということを受け入れて、期待の先を彼に向けるのをやめる」という決断をするべきなのだと思います。つまり、そっと降りるということですね。SNSでの担降り報告なんていらないし、謝ることでもなく、ただ“違った“ことを受け入れるのが互いにとって最良なのだと、そう思います。

これは恋愛でも、仕事でも、あらゆる人と人との関わりに言えることですね。一貫性を求めるのではなく、変化を受け入れていく。その中で時として相容れない部分が生まれるのも所与のものとして、必要に応じて離れる。そうして穏やかに生きていきたいなと。

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