少し前に、30歳の誕生日を迎えました。
正直なところ、20代の頃と、何が変わったのかというと何も変わらないですし、なんなら高校生の頃とも中学生の頃とも変わった気がしませんが、書き残しておくことに意味がありそうなので書いておこうかなと思います。
小学生の頃に見えていた中学生はとても大きくて怖そうに見えたし、高校生の頃は「社会人」とはそれはそれはとんでもない財力と経験をもった大人なのだろうと思っていたし、大学生の頃は私は20代後半には結婚するんだろうなと何故かなんの根拠もなく思っていました。
でも、実際になってみるとどの年齢になっても、“あの頃“に想像していたよりも、何も自分って変わってないもんですよね。今の自分の延長にしか未来の自分はいないのだと、つくづく感じます。
それでも、明確に「大人になったんだな」と変化を感じたのは、高校までど田舎の実家で暮らしていた私が大学生になってほぼ似たようなど田舎の大学のすぐ近くで一人暮らしを始めて、奨学金といくばくかの仕送りとアルバイト代で生活をするようになった頃、また社会人として働き始めた頃のこの二つでしょうか。
振り返ると、「お金」と「生活」の責任範囲が広がったタイミングで、この「大人になったんだな」の感覚が養われていったように感じます。
さて、そうなると今30歳になり、全ての生活費を自分で稼ぎ、自分で払うようになってもう8年ほど経過した私は、この先どう自分が「大人になったんだな」と感じるタイミングが来るのでしょうか。
もう「大人になったんだな」ではなく、「歳をとったんだな……」と少しの悲しさを持ちながら感じることしか許されないのでしょうか。
たしかに、「歳をとったんだな……」の感覚にはかなり覚えがあります。2000年代生まれの方と仕事で一緒になると「えぇっ、2000年代生まれってもう働いているの!?」みたいなおばさんムーブをついかましてしまうし、旬の俳優と言われる人がほとんど年下になってきたな……などど感じることが増えました。
でも、そんなどこか哀しさを抱えながらでしか捉えられないのかというと、そうでもないかもな……と最近は思っています。
歳を重ねる、というのは、つまり長い時間を過ごしてきたということであり、それによって「“学習したこと”が増え、進化している」ということなんだなというのがようやくわかってきました。
つまり、ポケモンでいうレベルみたいなものです。ポケモンって、経験値でレベルが上がり、一度上がったレベルって下がることがないですよね。そんでもってどこかの段階で可愛らしい見た目からなんかゴリゴリの顔した目つき悪くてイカつい見た目に進化しますよね。
歳を重ねることもそれと同じで、いろんなことを経験するなかでレベルが上がっていくわけです。目つきが悪くイカつい見た目になるかどうかはおいといて。出会った人の人数も減る事はないし、苦手だなと思う人の傾向もわかってくるし、自分と気の合う人の見つけ方も、得意なことも、知ってる言葉も、全部増えるしわかってくるんですよね。どうりで年々悩みが減ってくるわけだ。なので10代の頃の自分よりも20代の頃の自分よりも今が一番生きやすいです。ひとえにこれは、歳を重ねたことによる効能だなと思います。
まあ何が言いたいかというと、大人になるということはできることが増えるということであり、結構いいものだなと。(もちろん若い時のほうが良かったなみたいなこともたくさんあるんですけどね。肌のハリとか。まあでもそれはいくつになっても昔のほうが良かった的な気持ちが多少生まれるのは、そういうもんかなと受け入れ可能なのか対処法があるものしかないので。)
そう思うとこの先の人生もどんどん楽しみになります。お金貯めないと老後不安だなとか、一生東京に住むんだっけとか考えることもあり、完全にイージーモードということは無いのですが、まあ歳を重ねながら学ぶべきものを学んで生きていけばなんとかなるだろうなと楽観的に捉えています。
人生ステージという意味では、夫を持つ・子供を持つ・孫を持つ……みたいな変化が起きることは、今述べたような純粋な時を経ることだけでは得られない体験を得ることになるんだろうなと思っていますが、今のところ少し先を見通したとしても、その体験を得るために注力するという意思決定はせずに流れに身を任せるのをあと数年(もしかすると永年)しようと思っています。この判断が吉と出るのか凶と出るのかはたまた何でもないのか、は正直わかりませんが、ゆらゆらと、楽しみながら歳をとっていこうと思った30歳でした。
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