一番好きだった人のこと

一番好きだった人は誰だろう。最近そんなことを考えています。30年くらい生きてきて、私が最も好きだった人は誰だったのだろうか、と。

恋人は過去に3人いました。年齢の割には、少ない数かもしれませんね。片想いは好きだったので、告白したことは4回あって、思い返してみたら全部振られていました。そうだったのか、と今更ながら少しショックを受けています。告白されたことは、それも4回だった気がしますが、定かではありません。小学生の頃はモテたな、と記憶しています。

最も好きだった人は誰なのか、と思うと大学生から社会人二年目に差し掛かる前くらいまで付き合っていた彼なのではないかなと思います。4年程付き合っていて、半同棲のような状態でした。若かった、というのが大きな要因かもしれませんがあんなに「好き」と言い合ったのは過去を振り返っても彼だけであり、この先の未来も彼だけなのではないかなと予感もしています。

結局は自ら唐突に別れを切り出して、別れたけれど、瞬間を切り取ると、最も好きだ、と感じたのは彼なんだろうなと思います。

私が初めて身体を重ねた人であり、彼にとってもそうで、かつ彼にとっての初めての彼女でした。毎日好きだと言ってくれて、2人だけの呼び名はたまらなく甘かったなと思います。すぐに部屋を汚くするのと、洗濯物を大量に積み上げるのと、汗っかきなのが不満だったけど、ひっくるめて彼の全てを受け入れていたし、私も彼に全てを曝け出していました。2人とも食べることが好きで、一緒にスーパーに買い物に行ってお酒も買って、一緒にご飯を作って一緒に食べる、そんな日々が幸せでした。

揺らいだのは彼が同じサークルの女の子と浮気をした時でした。思い返せば、私はそれを、その二年後に別れるときまでずっと引きずっていたのだとも観じます。また、それから十年近くも経つ今も、彼への関心は無くなっても、そのことは私の心の隅に居続けているんだろうなと、最近になって思いました。

いつ浮気に気づいたのかは覚えていませんが、私はすぐに問い詰めて、LINEを見せろと言って彼からスマホを奪って見ました。浮気相手との間に甘いやりとりはなかったけれど、会いに行ったこと、家に行ったことはわかる内容でした。

「一番じゃないならいらない」

すぐにそう彼に告げました。それに対して「ただの遊びでなんの気持ちもない、二度としないから許してほしい」と何度も泣きながら謝罪する彼をみて、許しました。しょうもないプライドだったのだと思います。浮気相手に怒りの矛先を向けないことも、彼を許すことも、それによって私が守りたかったのは、愛した男をすぐに捨てれるくらいの強さをもっていて、それでも尚選ばれる女なのだということ、寛大な、余裕のある人間なんだと自分自身で思えることだったのだと。

私はその後二年ほど彼と付き合っていたけれど、一番好きだったのはその出来事の前までだったのだと思います。その出来事のあとは、もう自分に見える理想の自分を保つために、自分という人間の解釈を変えたくないがために彼と付き合っていたんだろうと感じます。私は浮気をされた時に、「全然ショックじゃなかった。彼は誘惑に弱いのは知っているし、ちょっとモテて嬉しかっただけ」と友達に言っていましたが、精一杯の強がりだったのだと今ならわかります。

一番好きだった人の話をしようと思ったのに、なんだか自分の自己正当化への執着に気付かされただけになってしまった……。

なんで急にこんなことを思い出したのかわからないけれど、この先の自分を自分で認められるために必要な振り返りなのかもしれないなと思うこととします。まだ先の人生で、あの時以上の好きの感情を持てる可能性はゼロではないのだと、言い聞かせながら寝ようと思います。

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